43 先生の思い出➀

 先日、大学時代の恩師の『緑の誘惑』と題する文庫本サイズの小さな本を手にした。もう10年以上も放っておいた本です。編集者の言葉を勘違いして、編集者を著者と間違えてそのままにしていたのでした。手に取ってゆっくり読み始めると、大学時代のことが思い出されてきました。もう60年も前のことです。
 私は高校時代から山が好きで、大学選びも山を中心に考えていました。高校時代はまだヒマラヤに8,000mの未踏峰がいくつかあったのです。7,000m台になると無数にありまた。誰も登ったことのない高い山に人類で初めて頂上に立ちたい、という夢ばかりが膨らんでいた時でした。
 高校の図書館で愛読したのが、オーストリアのヘルマン・ブールという天才登山家の登攀記録『8,000mの上と下』(横川文雄訳、朋文堂、1955年)で、その翻訳者・横川先生が上智大学の教授でした。横川先生はそのほか、ドイツ語圏の登山記録をいくつも翻訳されていた。
 アルプスの山々も登りたい、ヨーロッパの新しい登山技術も学びたい、横川先生に色々教わりたい、そんな思いから大学は上智大学を選び、入学しました。1962年4月です。
 大学に入って、構内をゆったり大股で歩く先生を遠くから拝見した時、私は声をかけることができませんでした。あんな有名な先生がそう簡単にはお話してくれないだろうと勝手に決め込んでいたのです。入学して分かったのですが、私はドイツ文学科に入ったのですが横川先生はドイツ語科の先生でした。私は当然山岳部に入部したのですが、横川先生はワンダーフォーゲル部の顧問をされていたのです。こちらもすれ違いでした。入学後も直接授業は受けることはなく、そのまま2,3か月たってしまいました。
 6月でしたか、ワンダーフォーゲルの友達に誘われて横川先生に会いにゆきました。研究室に入ると、横川先生は「山岳部だってね。ヒマラヤ、それともヨーロッパ?」と聞いてこられました。私は緊張していましたが、思い切り「両方です」と答えました。そして「先生の訳された本はみんな読みました。特にヘルマン・ブールが好きです」と話すと、先生は目を輝かせて「そいつはいい、楽しみにしているよ」と励ましてくれました。以後、先生の部屋にはちょくちょく遊びに行くようになりました。
 先生は南アルプスの甲斐駒ケ岳(2,967m)が好きで毎年のように登っておられた。それも中央本線の日野春から黒戸尾根という長い長い尾根を登る。私たち山岳部のように息せき切って登るのではなく、ゆっくり途中で一泊して自然を楽しみながら登るのです。
 テントの中で横川先生のいろいろなお話がまた面白かった。ヘルマン・ブールが山で亡くなった後、オーストリアにブールの奥様を訪ねた話、こども時代の楽しみ、学生時代、山への憧れ、など様々でした。
 『緑の誘惑』には山でお聞きした話題がいくつも載っていました。すごく懐かしかった。読んでいるうちに、そういえば、アンデスに行った時もヒマラヤに行った時も先生はとても励ましてくれた。南ドイツには面白い山岳文学がたくさんあるよ、君、ドイツ文学の研究者になってみないか。そう誘ってくださった。先生の研究室に残った方がよかったのかな、とふと思った。色々な思い出が浮かんで来る。激しい山を登らなくなった今も山や森が好きなのは先生の影響があるのだなと思う。

文庫本サイズの小さな本。

『緑の誘惑』の表紙。

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