28 オリンピック

 8月2日、オリンピックの卓球男子団体の予選に青森山田学園卒業生の水谷選手と丹羽選手が出場しました。二人は息の合ったチームプレーで圧勝した。
 もちろん日本選手全員の活躍は素晴らしいものですが、この日の試合を見て何となく誇らしい気がしたのも事実です。二人の選手にはリオデジャネイロのオリンピック壮行会や帰国後の祝勝会でお会いしています。この時は、福原愛選手も一緒でした。6人の代表選手のうち3人が青森山田の卒業生。しかも補欠選手や練習の相手をする選手を入れると約20人の選手団のうち半分は青森山田の卒業生という布陣でした。
 今は亡き渡邊俊治さんも一緒だった。渡邊さんは本学園の卓球部を育て上げ、日本一にした方です。壮行会の時に、檀上の福原選手が渡邊さんを見つけて大きく手を振っていたのが印象的でした。3人とも青森山田で学び、練習したことを懐かしんでいました。
 祝勝会の後、水谷、丹羽選手が東京に同窓会を作りたいと言ってきた。ぜひ作りましょうと答えたまま、渡邊さんが病気になり、亡くなるという不幸が重なって、いつの間にか立ち消えになっていたのですが、この日の試合を見て、すぐに取り掛からなければ、という思いがよみがえってきました。
 本学園が経営不振に陥った時、スポーツにお金をかけすぎたから傾いた、何もかもがスポーツのせいだ、と言う人が出てきた。確かにお金をかけすぎたとは思いますが、荒れていた当時の高等学校を建て直すにはどうしたら良いか、考え抜いてのスポーツ強化だったと思う。当時の木村隆文理事長は、生前、私に「高校生が輝く笑顔を見せるようになった。それが一番の宝だよ」と語っていました。
 私は、あの頃の経営不振の原因はスポーツ強化のせいではないと思う。詳しくはまた語る機会があると思いますが、古くからの一極集中型の経営体質が原因だったと思います。
 話はそれてしまったが、東京オリンピックを通して、私にとって最も感動的だったのは、卒業生の2人が力を合わせて世界に立ち向かってゆく姿です。今後さらに、サッカー、野球、バドミントンなど多くの学生、卒業生がスポーツの世界で活躍することを想い描きながら後半戦のオリンピックを楽しもうと思う。

       リオの祝勝会で水谷、丹羽、福原選手と。左から2人目が渡邊さん。

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