42 五月の八甲田

 青森ではまだ初夏というには早すぎるかもしれません。ましてや八甲田はやっと春の匂いがし始めたという状況でしょう。北アルプスでは連休が終わるまでは冬山の装備で登らなければなりません。里と山での季節の違いですね。
 でも、理事長室から毎日見える八甲田は日に日に変化しています。雲谷のスキー場はとっくに草原になっています。
 近く、青森県内のあるところで講演をすることになっていますが、そこで私は青森の自然の美しさ豊かさを訴えようと思っています。パワーポイントのスライドも48枚用意しました。
 日頃から皆さんに「青森の人は青森の自然の恵みにもっと感謝すべきだし、その恵みをもっと活用したらいいのに」と申し上げているのですが、なかなか納得してもらえない。他県出身の私は歯がゆい感じがしています。。
 吉幾三のTUGARUで、喰うものめべし、酒コまだ、三方海コさ囲まれて、それでも出て行く馬鹿コいる・・・と歌われているとおり、吉さん、いや青森の地に足をつけて生きる人々の思いがもっと普通になればいいのに、と思います。
 青森は本州の最果てだとか、働くところがない、さびれている、若者が出ていく、所得が低い、短命だ、などなどの嘆きが聞こえてきますが、後ろ向きのことばかり考えて、何が得になるのですか、と聞きたくなります。
 人間生きている以上いろいろな不満はあります。しかし喜びも楽しみもある。上を見ればきりがない。下を見てもきりがないのです。アメリカの一部の金持ちが幸せなのでしょうか。アフリカの子どもたちは不幸なのでしょうか。不幸なのは自分の人生に納得がいかない人のことを指すのでしょう。
 ウクライナの人々は理不尽の災難に苦しんでいます。地震など天変地異に襲われることもあります。交通事故や様々な災難にも会うでしょう。
 誰しもが様々な悩みを抱え、また喜びを見出しながら生きて、死んでいくのです。生きることの原点のようなものを心に持っている人は強い。何があっても大丈夫。でも、お金や地位などは、今自分が生きている大地の恵みと比べれば比較にもならないほどの軽いものではないでしょうか。
 人間はしかし、目の前の利益に惑わされる。「塞翁が馬(さいおうがうま)」のような達観した人生はなかなか実現できない。それもそうですが、ここらでちょっと息を鎮(しず)めて、東京や外国のキラキラ文化を少し見直してみたらどうでしょうか。若い時には賑やかな晴れがましいところがまぶしく見える。そこに行ってみたい。当然です。
 しかしそこが本当に自分に合っている場所なのか。自分の生きるべき場所はどこなのか。そんなことをしっかりと考えてほしい。若者だけではなく県民みんなに考えてほしいのです。
 青森県民はもっと自信をもって生きていくべきです。青森の良いところをたくさん見つけて、東京を凌駕するくらい住みよい場所だと自信を持つべきです。神奈川県の横浜に生まれ東京で長く住んでいる私がつくづく思うのは昔の横浜は良かったということです。今は家やビルしかありません。空が見えにくい。子供の頃の私の家の周りには麦畑が広がり、小さな森もたくさん残っていました。東京23区にも原っぱや森が多くありました。しかし今は自然の息吹が感じられません。箱庭のようなところでキャンプのまねごとをして楽しんでいる姿を見ていると悲しくなります。
 私の感性が少し変なのかもしれませんが、長い間、世界の様々なところを歩いてきて、そして年齢を重ねてきた今、青森の自然の美しさが目に染みるのです。

2022年5月12日、理事長室から望む八甲田連峰

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