茨木のり子(写真)という詩人がいました。彼女は、1926年、大阪市で生まれ、高卒後、上京、19歳で終戦を迎えました。1953年に詩人仲間とともに同人誌「櫂」を創刊します。「自分の感受性くらい」「私が一番きれいだったとき」など多くの詩を発表し、1991年には、『韓国現代詩選』で読売文学賞を受賞。2006年、79歳で亡くなりました。
素晴らしい詩をたくさん残していますが、私は下記に引用する「自分の感受性くらい」という詩が好きです。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
すがすがしいくらいさっぱりとした詩ですね。この詩をブログで書こうと思ったのは高校サッカーの試合を見てのことでした。青森山田高校が圧倒的な強さで勝ち上がり、決勝でも相手校を一蹴しました。一連の闘いぶりを見ていて、この詩が浮かんだのです。雪国のハンデをものともせず、正々堂々、しかし一瞬の手も抜かず、どんな相手にも全力でぶつかり完璧に勝っていく。あの戦いぶりを見ていれば、世の大人たちは言い訳無用。何事も自分で責任をとれ、という強い意志が伝わってきます。
茨木のり子の「自分の感受性くらい」という詩には、青森山田の試合ぶりのような力強さがあります。最後の、ばかものよ、というフレーズは、言い訳ばかりしている人に対しての喝(かつ)でしょう。歯切れの良い言葉が次々に続き、その繋がりもいい。
新年早々、高校サッカーに感動し、この詩を思い出して改めて読み直し、気を引き締めたところです。
写真:茨木のり子さん