37 自分の感受性ぐらい

 茨木のり子(写真)という詩人がいました。彼女は、1926年、大阪市で生まれ、高卒後、上京、19歳で終戦を迎えました。1953年に詩人仲間とともに同人誌「櫂」を創刊します。「自分の感受性くらい」「私が一番きれいだったとき」など多くの詩を発表し、1991年には、『韓国現代詩選』で読売文学賞を受賞。2006年、79歳で亡くなりました。
 素晴らしい詩をたくさん残していますが、私は下記に引用する「自分の感受性くらい」という詩が好きです。

  ぱさぱさに乾いてゆく心を
  ひとのせいにはするな
  みずから水やりを怠っておいて

  気難かしくなってきたのを
  友人のせいにはするな
  しなやかさを失ったのはどちらなのか

  苛立つのを
  近親のせいにはするな
  なにもかも下手だったのはわたくし

  初心消えかかるのを
  暮しのせいにはするな
  そもそもが ひよわな志にすぎなかった

  駄目なことの一切を
  時代のせいにはするな
  わずかに光る尊厳の放棄

  自分の感受性くらい
  自分で守れ
  ばかものよ

 すがすがしいくらいさっぱりとした詩ですね。この詩をブログで書こうと思ったのは高校サッカーの試合を見てのことでした。青森山田高校が圧倒的な強さで勝ち上がり、決勝でも相手校を一蹴しました。一連の闘いぶりを見ていて、この詩が浮かんだのです。雪国のハンデをものともせず、正々堂々、しかし一瞬の手も抜かず、どんな相手にも全力でぶつかり完璧に勝っていく。あの戦いぶりを見ていれば、世の大人たちは言い訳無用。何事も自分で責任をとれ、という強い意志が伝わってきます。
 茨木のり子の「自分の感受性くらい」という詩には、青森山田の試合ぶりのような力強さがあります。最後の、ばかものよ、というフレーズは、言い訳ばかりしている人に対しての喝(かつ)でしょう。歯切れの良い言葉が次々に続き、その繋がりもいい。
 新年早々、高校サッカーに感動し、この詩を思い出して改めて読み直し、気を引き締めたところです。

                 写真:茨木のり子さん

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