35 ブータンの仏像

 私の家にはブータンで頂いてきた仏像が座っておられます。今から10年ほど前、憧れのブータンに行くことができました。NGOの仕事で野鳥のサンクチャリを設営するためでした。しかし私には、ブータンの未踏の山々を見る、というもう一つの目的がありました。
 ブータンには現在、だれも頂上を極めたことがない山がたくさんあって、世界中の登山家の目標となっているのです。ガンカール・プンスム(Gangkhar Puensum,7570m)という山は未踏峰の中では世界で一番高い山なのです。その他にも7,000mを超える未踏の山々があり、6,000m台ならまだ誰も登っていない山がたくさんあります。
 ブータンに入国してすぐ、私は仕事を放りだして首都ティンプ―の郊外へと車を走らせました。そして峠の頂上に差し掛かった時、見えたのです。ブータンの山々が銀色に鈍く光っていました。夢中で写真を撮った。町に帰ってもやや興奮気味でした。
 しかし、です。ブータンで日がたつにつれて、私は仏教に取り込まれていきました。ブータンは仏教を国是としています。国中にお経が流れ、お店に入ってもどこからともなくお経が聞こえてきます。いつの間にかヒマラヤの山々はかすんでいき、仏教の持つ穏やかな空気に浸るようになっていました。
 ある日、骨とう品店に入り、仏教の様々な品物を見ているとき、美しい仏像が目に入ってきたんです。お店の方が言うには100年以上前のものだそうです。一目で気に入り、買い求めました。高かったけれど、財布をはたいて買いました。
 30年ほど前、チベットのダライ・ラマ師が来日されたとき、私は師と一緒に旅をしたことがありました。師は毎朝お経を唱えるのですが、その声はとても澄んだ気持ちの良い響きでした。私たちと会話するときは英語でしたが、やさしいまなざしで「私は4歳の時から毎日10時間以上お経を勉強してきました。それでもまだ中世のチベット仏教の高みには届きません」と謙虚に言っておられた。ブータンで出会った仏像はダライ・ラマ師の面影に似ているような気がしたのです。
 帰国の朝、飛行機からはブータンの山々が見えました。いつか登りたいなあ、と思う反面、50年間休む日もなく1日10時間も勉強してまだ到達できない哲学とは何だろう、チベット仏教の高みとは何か、といった疑問が次々にわいてきました。
 それは今も変わりません。ITが発達しても、その疑問は解けるとは思えない。しょせん人間は100年ぐらいで消えてなくなる。その人間たちが1000年も2000年もかけて考え込んでいるのはなぜか。時々、仏像に問いかけてみるのですが、仏様は微笑むばかりです。
            ブータンからの仏像。背後にはブータンの国旗

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