18 喜寿

 1月18日に77歳になりました。昔から77歳になると喜寿(きじゅ)のお祝いをします。なぜ喜寿というのか。それは「喜」という字の草書体が「七十七」に見えるからだそうです。同じように60歳が還暦(かんれき)、70歳が古希(こき)、80歳が傘寿(さんじゅ)、88歳が米寿(べいじゅ)、90歳が卒寿(そつじゅ)、99歳が白寿(はくじゅ)、100歳が百寿(ひゃくじゅ)と言います。昔からお年寄りを大切にしてきた習慣ですね。
 そう書いてみると私もかなりの年寄りだと気が付きました。そうですね、生まれたのがまだ戦争中で、小学校入学が前の平成天皇のご成人の年でした。入学と同時に、校庭でご成人のお祝いの植樹をしたからです。これは良く覚えています。6年間どう育っていくのかを毎日見ていたわけですから。少し飛んで大学2年の時、東京オリンピックがありました。あの、はだしのアベベが甲州街道を独走した1964年のオリンピックです。3日前からテントを張って並んでチケットを買いました。それは最終日のチケット2枚でした。自分はいつかオリンピックを見る機会があるであろうかと両親にプレゼントしました。両親はとても喜びました。オリンピックの後でも、何度も閉会式の話をしていました。両親ははるか昔に亡くなりましたが、私が思い出す唯一の親孝行でした。
 いつの間にか私自身両親より長く生きています。でも、人間はただ長く生きたからといって自慢できるわけでもありません。いかに生きたか、が大切です。ならば自分は一体どうなんだ、と自戒(じかい)した誕生日でした。
 若い人と違って「死」というものが明らかに近い年ごろです。高校生や大学生の皆さんは死というものははるか遠い存在で、実感がわかないかもしれません。でも、生きているものは必ず死にます。草花も虫も動物もみんな生まれてそして死にます。だからこそ「いかに生きたか」が大切だと思うのです。生きている「今」を真剣に生きる、無駄なく生きることが重要なのです。人生は「今」の連続です。一日、一瞬を懸命に生きることこそが充実した人生ということになるのではないでしょうか。
 時々高校のグラウンドに行き、サッカーや野球、陸上などの選手が練習しているところを見せてもらっています。誰もが素晴らしい目をしています。「今」を懸命に生きているのです。彼らの目を見るたびに年老いた私は何か命の精気のようなものを受け取ります。青森山田を預かって良かったな、と思う瞬間です。
 中学、高校、大学、専門学校の学生、そして留学生のみなさん、スポーツでも音楽でも勉強でも、何でもいい、好きなこと、打込めることに思い切りぶつかってください。人から言われたことでなく、自分の内側から湧いてくる気持ちを大事にしてほしい。それが、「生きる」ということです。
 雪の後には桜が咲きます。夜は必ず朝を迎えます。コロナもいつか終わるでしょう。そしてまた新しい課題が襲ってきます。時は緩やかに、しかし決して止まることなく流れていきます。自分で時を操るように生きてほしいのです。前向きに。

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