若い方はご存じないかもしれないが、三好達治という詩人がいました。彼の代表作で「甃のうへ」という詩があります。甃とはお寺の参道などに敷かれている石畳のようなものを指します。この詩は東京の護国寺が舞台だといわれています。「うへ」は旧かなづかいで、「上」のことです。
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
・・・と続きます。「をみなご」とは若い女性のことです。いかにも春うららかな、そしてやや華やかな情景が映し出されています。「ながれ」、「ながれ」と続く響きは、スローモーションで花びらが舞い散る様子が目に浮かぶようです。
桜が満開を迎え、そして散りゆくころになると必ずこの詩の一説が浮かんできます。時移り、時代が変わろうと、こうした平和な景色は何とも愛(いと)おしい。災害が発生して日常がままならなくなったり、戦争がおこりたくさんの人が死んだり、世の中には様々な不幸なことが起こります。そんなときにはこの詩に詠(うた)われているごく普通の日常情景が懐かしく、美しく感じられます。
昨年からのコロナ騒ぎでお花見や入学式、お祝いの会などができないでいます。東京に行くのも何となくはばかられるなど不自由な感じが付きまとっています。昨年は、あれよあれよという間に桜の季節が過ぎ去っていきましたが、今年は人込みを避け、山桜を楽しみに出かけました。
山桜はソメイヨシノとは違い、やや白く、清楚(せいそ)な感じがします。本居宣長が愛したのもこの山桜でした。深い山の中に点々と山桜が咲いている。時には単独で大きく聳えている。これはこれで楽しい景観です。人々が群れ集って食事やお酒を楽しむお花見とは違って、一人で山桜を見るのもまた良いものです。桜が何か話しかけてくるようです。桜を前に自問自答するのでしょうか、小さな出来事を忘れ、大きな時間を感じます。桜を見た返り道、運転するハンドルが心なしか軽やかでした。
今年は桜の開花が早いようです。青森にも間もなく桜の季節がやってきます。ソメイヨシノが多い弘前城や合浦公園の桜も素晴らしいのですが、時期をずらして山に分け入るのもいいですね。青森には山桜は自生していない、と言われますが、人里離れたところに咲くソメイヨシノも良いでしょう。
三好達治の詩はこう締めくくられています。
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃〔いし〕のうへ
晴れやかな人々の群れを前に、ただ一人、自分を突き放して見つめる心情が鮮明に浮き出ています。コロナ禍と闘い続けている今、普段とはまた違った桜を楽しみ、自分を見つめ直してはいかがでしょうか。
房総半島にひっそりと咲く山桜