20 上杉鷹山

 発売されたばかりの岩波新書「上杉鷹山(うえすぎ・ようざん)」を読みました。著者は千葉大学准教授の小関悠一郎氏です。新進気鋭の研究家による鋭い考察に、刺激を受けました。これまで鷹山については小説やテレビドラマなどでも取り上げられていて、結構有名な殿様ですが、今度の本は学術的な裏付けがしっかりしていて説得力があります。
 鷹山の本名は治憲(はるのり)、江戸時代中期、山形県の米沢藩(よねざわはん)9代藩主です。領地返上(藩の廃止)寸前の米沢藩を再生し、江戸時代屈指(くっし)の名君として知られていますが、何といってもアメリカのJ・F・ケネディ大統領が「最も尊敬する日本人」と言ったことで有名です。
 この本を読んで、感銘を受けたのは、今で言えば倒産寸前、累積(るいせき)赤字が200億円にものぼる貧乏会社をわずか17歳で引き継ぎ、生涯をかけて再建し、膨大な借金を完済したことです。その上、領民の教育を熱心に行い、養蚕(ようさん)という新しい産業を興すなど豊かな国に仕上げたのです。まさに地方創生の原点のような人なんです。
 小関准教授は、明治初期、東北地方を歩いた有名なイギリスの女性旅行家、イザベラ・バードの米沢藩についての記述から、次のように引用(いんよう)しています。
 「まさしくエデンの園である。(略)晴れやかにして豊穣(ほうじょう)なる大地であり、アジアのアルカディアである。農地もこの上なく見事に丹念(たんねん)に手入れして、完璧な耕作が行われ、気候に適した作物があふれるほどとれるのである」
 鷹山の改革の肝(きも)は、藩が上から強制するのではなく農民の自主性を導きだしたことでしょう。そのために、様々な手法を凝(こら)します。中でも教育に重点を置き、難しい農業書を優しくひらがなで書いた本を創ったり、出先の役人に「農民のどのような行動が良くないのか」、農民に何度も繰り返し教えさせています。その結果、農民たちは、働くことによって豊かになることを知り、日々の作業に努力と工夫をするようになりました。
 改革の初めのころには、貧乏に慣れきって惰性(だせい)で生きているような武士ばかりでしたが、その武士たちに農地の開墾をさせ、そこでとれた作物を自分のものにさせて意識変革を促しました。また、養蚕の仕事を武士の妻などにさせ、収入増を図りました。
 そのように、国中で様々な工夫を凝らし、極貧(ごくひん)の国を豊かで自主性あふれる国に変えたのです。鷹山自身「一汁一菜(いちじゅういっさい)」を貫き、木綿の着物で生涯を過ごしたことで、倹約を、身をもって示しました。そして、家臣が変わり農民が変わり、豊かな国に変貌(へんぼう)していったのです。
 こうした手法は今でも使えそうですね。首長がしっかりし、役所が働き、そして産業界が工夫を凝らす。その根底には市民の常識、教育の充実がある。これは、200年以上も前に鷹山が実践していることです。江戸だけを見ず、自身の国の置かれた立場を見据え、工夫と努力によって豊かな故郷を創り上げる。そして全国の模範となる地域を育てていった。
 青森大学が、そうした行動の「知の拠点」になれば、最高ですね。

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