08 夏の原風景

 この季節になると必ず一度は思い出す、私の原風景ともいうべき光景が二つあります。
 その一つは、白いバラス道に照り付ける太陽。耳には「ミーン、ミーン」という蝉時雨(せみしぐれ)。海水浴を楽しんだ後のけだるい感じ。
 横浜の金沢文庫というところの海が、私の子どものころはまだとても美しかった。その街に叔父が住んでいて、小学生の後半から中学前半までの夏休みはほぼ叔父の家で過ごしていた。いとこたちと毎日海に行き、帰りは30分ほど歩いて帰った。帰り道、どこまでも続く緑の田んぼ。その中を白いバラス道が伸びている。泳ぎ疲れて、だるくてたまらない身体を引きずりながら歩く。家に着くとそのまま昼寝で、2時間ぐらい熟睡する。そんな日々の思い出がとても楽しかったのでしょう。今も、私の原風景となっているのだと思います。
 もう一つは、瓦礫(がれき)に沈む大きな太陽です。横浜は中心街が空襲で灰燼(かいじん)に帰しました。伊勢佐木町をはじめ古き良き街並みは全部、焼け落ちました。小学校低学年の間、学校はほとんどなく、2部授業といって、午前か午後だけ授業でした。勉強なんてした記憶がない。クラスのお父さんの半分は戦争から帰ってきていませんでした。
 午前でも午後でも、学校が終わった後、友達と連れ立って焼け跡に行き、錆びた釘などのくず鉄を拾うのです。バケツ一杯拾って、くず鉄家さんに持っていくと1円くれました。中には10銭札で10枚(1円)くれる時もありました。その金を握って駄菓子屋に向かいます。買うものはメンコ、ベーゴマ、ビー玉がほとんど。時に飴やお菓子を買ったりしました。
 さて、それからです。一日の労働の成果を賭けてメンコやベーゴマの真剣勝負です。負ければ取られます。負けて悔しくて泣きだす子どももいます。それでも勝負は厳しく、負けても誰も同情してくれません。だから勝つために、家に帰ってからもあれこれ工夫をします。メンコの四隅(横浜ではメンコは長方形でした)を少し折ってひっくり返らないようにしたり、ベーゴマを竹に挟んでアスファルト道路で走りながらこすって尖らせたり。時には誰かが工夫をして勝ち続けると、その工夫が「ずるい」と言われ、みんなから拒否されることもありました。
 夕方が迫って、家に帰るころ、焼け落ちた街に大きな夕日が落ちていきます。美空ひばりの「東京キッド」などを歌いながら、のんきに歩いていたのです。大人は全く介在していませんでした。確たる子どもの世界があったのです。

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