07 ボーイング爆撃機

 今年は戦後75年と区切りの良い年ですが、私は昭和19年1月生まれの76歳なので、終戦の時は1歳半ぐらいでした。戦中派と言えばいえるのですが、全く記憶がないので戦後生まれに等しいです。
終戦の半年前ぐらいでしたか、私は横浜で米軍のB29という爆撃機に機銃掃射(きじゅうそうしゃ)を受けました。母親の話ですが、空襲の時なぜか母親は外にいたため、飛行機からの機関銃に狙われたというのです。私を背負った母親が逃げ惑うところを機関銃の銃弾は足元を狙って執拗(しつよう)に追いかけてきた。まるで遊んでいるように打ち続けたそうです。必死に逃げましたが、ついに足を取られて転んでしまった。「もうこれまで」と観念したところ、急に銃撃は止み、飛行機は飛び去って行ったのです。
 母親は「きっとお前を背負っているのを見たんだよ。私が転んで、背中のお前の姿が見えて、パイロットは撃つのをやめたんだと思う」。母親は確信をもってそう言っていました。終戦の日が来るたびに母親そう話し、「アメリカ兵にも良い人がいるんだね」と付け加えるのでした。
 それから40年後、私はアメリカのシアトルにある飛行機メーカーのボーイング社にいました。この会社の山の会のためにチョモランマ(エベレスト)登山のスライドを使って講演をしたのです。同じシアトルにあるワシントン大学に留学していた時のことです。話が終わり、いくつかの質問に答えた後、最後に、私は母親の話をしました。そして、このボーイング社で作られた爆撃機B29に機銃掃射を受けたことを付け加えました。一瞬静まり返った後、私はパイロットが小さな赤ちゃんの姿を目にして機関銃を止め、飛び去ったこと、そして母親の確信に満ちた謝意を伝えました。「私が今生きてここでお話できるのも、あのパイロットのおかげです」と結ぶと、大きな拍手が起こりました。
 戦争は悲惨です。人を殺すことが正義なのです。勝っても負けても、誰もが心に大きな傷を負います。講演の後、山の会の会長さんたちとしみじみと話ができました。今も、ボーイング社の方々との交流が続いています。

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