04 神和(かんな)先生

 私は中学、高校を横浜の私立男子高で過ごしました。明治大正時代の実業家・浅野総一郎が京浜工業地帯の埋め立て事業を行い、山を削り取った跡地が平らで広かったので学校を作ったそうです。それが私の母校、浅野中学高等学校です。
神名勉聰(べんそう)先生は私が在学時代の校長先生でした。すっごく良い先生でした。腕白盛りの男の子たちに対し、厳しくそして優しく接してくれました。文部大臣を務め、後に独協学園を起こした天野貞祐先生の弟子で、モットーは「春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)の男たれ」でした。
 中学3年の時、山岳部の同僚と賭けをしたんです。定期試験でオール5をとれるかどうか、でした。オール5といっても浅野では10点満点制だったので、普通の学校ではオール2.5でしょうか。私はできると言い、友人はできないと言い張り、結局私がオール5を取れば天丼をおごってくれる、ということで賭けになったのです。
 結果は見事に私が勝ちました。ところが神名校長先生から呼びだしがかかった。心当たりがないけれど、何で怒られるのかな、と恐々(こわごわ)校長室に入ったのでした。先生はすぐに「君は何で急に成績が落ちたのか」と聞いてきました。私は正直に顛末(てんまつ)を話したところ、先生は急に大きな声で笑いだした。「なんだ、そうだったのか。私は君が病気になったのかと心配したんだよ」と言ってくれました。てっきり怒られるのだろうと思ったので、ほっとした記憶があります。
 先生はおおらかな方で、正月に遊びに行くと誰でも気持ちよく家に上げてくれて、ご自身は酒を飲みながら、いろいろと人生譚(じんせいたん)を聞かせてくれたものです。実は浅野高校山岳部は大正10年(1921)に設立されており、東京の普通の大学よりもはるかに伝統がある山岳部でした。神名先生はその設立者で、設立記念登山は当時の中学生としては群を抜く、北アルプスの燕岳から槍ヶ岳に向けた登山でした。
 卒業後、大学3年の時に浅野高校山岳部OB会が南米アンデスに登山に出掛けることになり、先生のところに挨拶(あいさつ)に行きました。先生はとても喜んでくれて、半紙にすらすらと書いてくださったのが「春風駘蕩の男たれ」でした。その書は今も額に入れて飾っています。
「小さなことにうろうろしないで、大きく目を開いて高いところを見つめて歩きなさい。人の目などを気にしないで、ゆったりと春風のように生きていきなさい」
神名先生は今も、そう語り掛けてくれています。

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